私たちの感謝祭 -夢だったガレージウエディング-
at WUUR studio
SCENE情景
海外に嫁いでもひとりじゃない
つよくそう思えた忘れられない日
新婦さまは元お花屋さん。
叶えたい空間のイメージがあり、たくさんの結婚式場をまわった結果、真っ白な空間の中で0から創り上げるガレージウエディングに決定。
準備をスタートしたのは2019年でしたが、途中でコロナ禍となり2度の延期を繰り返し、プランを何度も練り直し、最終的に決定したスタイルは2部制ウェディング。
大好きが詰まったガレージで親族のみで顔合わせを兼ねた会食
→移動してゲスト全員が集まれる野外スペースにて挙式
→友人のみがガレージに移動してアフターパーティー
1日がかりかけて開催したウェディングは、関わったスタッフも約50人ほど。
そんな空間時間は、一人一人と心を通わすことができたハートフル溢れたウェディングとなりました。
叶えたい空間のイメージがあり、たくさんの結婚式場をまわった結果、真っ白な空間の中で0から創り上げるガレージウエディングに決定。
準備をスタートしたのは2019年でしたが、途中でコロナ禍となり2度の延期を繰り返し、プランを何度も練り直し、最終的に決定したスタイルは2部制ウェディング。
大好きが詰まったガレージで親族のみで顔合わせを兼ねた会食
→移動してゲスト全員が集まれる野外スペースにて挙式
→友人のみがガレージに移動してアフターパーティー
1日がかりかけて開催したウェディングは、関わったスタッフも約50人ほど。
そんな空間時間は、一人一人と心を通わすことができたハートフル溢れたウェディングとなりました。
GALLERYギャラリー
WEDDING LAPPLE
VOICEお客様の声
3年越しの結婚式を叶えて
初めて会った日は2019年4月20日なんだなあと気づき、本当に丸々3年以上私たちの結婚式のこと考えてくださったんだなあと胸がいっぱいになりました。
初めてお会いした瞬間、今でも覚えています。
式場見学をする中で、果ては豊橋まで見学に行ったりして、そこの支配人の方が確かさえこさんのお名前を出してくださったのが、lappleにたどり着いたきっかけでした。
元々大した知識もないのにセルフプロデュースしたい!って言っちゃうくらいこだわりが強い私に根気強く付き合ってくださった準備期間。
マレーシアと日本で別居婚の私たちのことをすごくすごく考えてくださって、喧嘩の仲裁してくださったり、コロナになって延期を繰り返す度に落ち込んだりやる気を無くす私に色んな提案をしてくれました。
1年目はドレスのお披露目。
2年目はオンラインでの親族顔合わせ。
どれも忘れられない大切な時間です。
延期を決めた時、コロナで先が見えない時、けんかをくりかえして心配かけまたと思います。何回も結婚式やりたいって私が言わなかったらよかったのかな、そしたらこんなに辛い思いしなくて良かったのかなって思ったこともありました。それに今まで私は自分に自信がなくて、彼が自分のことを好きでいてくれるってことや友達が自分のこと思ってくれてるって、そういうことにも自信がなくて、不安がいつも心にありました。
でもあの日、私はすごくすごくみんなに愛されてるんだなあって感じることができました。そして、本当にたくさんの人が私たちのために動いてくれて私が叶えたかったこと、全部叶いました。
大切に作ったオーダーメイドのドレスを着ること。
大好きなケーキ屋さんのケーキを食べること。
焼き菓子ビュッフェをすること。
たくさんたくさん夢見たWUURのデザインの会場で結婚式をあげること。
プーコニュの装花に囲まれること。
可愛いブーケを持つこと。
大切な人みんなの前で誓うこと。
それに私が、ずっとずっとみんなと歌を歌いたくて、でもコロナになってから歌はどう考えてもダメですよね、って。そう言っていたのに、みんなで歌ってくれたことも生涯忘れられない瞬間になりました。
みんなに囲まれて、空も飛べるはずを一緒に歌いながら、こんな時間を過ごせることにも歌を歌っていることにも、すべてがかけがえのないものだなあってすごく感じながら幸せをかみしめてました。
歌詞の通り、みんなと出会えた奇跡が私の胸に溢れていたと思います。
コロナになってしまって3年間、本当に本当に辛かったし苦しいことが沢山ありました。けどあの日を迎えた今は、延期を重ねて3年越しに結婚式を挙げられたことが私たちにとって意味があったことだって、延期して結婚式を迎えたことが良かったって、今は言えます。
書ききれないくらいの夢が叶った日で、間違いなく結婚式をLAPPLEとWUURとチームの皆さんにお願いしたことは人生最高の出来事です。
本当に本当にありがとうございました。心から感謝しています。
photo Marlgrafica
movie EIZOUYA
初めてお会いした瞬間、今でも覚えています。
式場見学をする中で、果ては豊橋まで見学に行ったりして、そこの支配人の方が確かさえこさんのお名前を出してくださったのが、lappleにたどり着いたきっかけでした。
元々大した知識もないのにセルフプロデュースしたい!って言っちゃうくらいこだわりが強い私に根気強く付き合ってくださった準備期間。
マレーシアと日本で別居婚の私たちのことをすごくすごく考えてくださって、喧嘩の仲裁してくださったり、コロナになって延期を繰り返す度に落ち込んだりやる気を無くす私に色んな提案をしてくれました。
1年目はドレスのお披露目。
2年目はオンラインでの親族顔合わせ。
どれも忘れられない大切な時間です。
延期を決めた時、コロナで先が見えない時、けんかをくりかえして心配かけまたと思います。何回も結婚式やりたいって私が言わなかったらよかったのかな、そしたらこんなに辛い思いしなくて良かったのかなって思ったこともありました。それに今まで私は自分に自信がなくて、彼が自分のことを好きでいてくれるってことや友達が自分のこと思ってくれてるって、そういうことにも自信がなくて、不安がいつも心にありました。
でもあの日、私はすごくすごくみんなに愛されてるんだなあって感じることができました。そして、本当にたくさんの人が私たちのために動いてくれて私が叶えたかったこと、全部叶いました。
大切に作ったオーダーメイドのドレスを着ること。
大好きなケーキ屋さんのケーキを食べること。
焼き菓子ビュッフェをすること。
たくさんたくさん夢見たWUURのデザインの会場で結婚式をあげること。
プーコニュの装花に囲まれること。
可愛いブーケを持つこと。
大切な人みんなの前で誓うこと。
それに私が、ずっとずっとみんなと歌を歌いたくて、でもコロナになってから歌はどう考えてもダメですよね、って。そう言っていたのに、みんなで歌ってくれたことも生涯忘れられない瞬間になりました。
みんなに囲まれて、空も飛べるはずを一緒に歌いながら、こんな時間を過ごせることにも歌を歌っていることにも、すべてがかけがえのないものだなあってすごく感じながら幸せをかみしめてました。
歌詞の通り、みんなと出会えた奇跡が私の胸に溢れていたと思います。
コロナになってしまって3年間、本当に本当に辛かったし苦しいことが沢山ありました。けどあの日を迎えた今は、延期を重ねて3年越しに結婚式を挙げられたことが私たちにとって意味があったことだって、延期して結婚式を迎えたことが良かったって、今は言えます。
書ききれないくらいの夢が叶った日で、間違いなく結婚式をLAPPLEとWUURとチームの皆さんにお願いしたことは人生最高の出来事です。
本当に本当にありがとうございました。心から感謝しています。
photo Marlgrafica
movie EIZOUYA